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苦難はもう十分経験した、あとは這い上がるだけだ!

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新生活

葬儀も終わり一日も早く生活のリズムを取り戻さなくてはとさっそくいつも通り私は仕事、息子は保育園に通い始める。ただ変わったのは実家から通うようになったこと。
息子はこれまでの妻の闘病で私が夜中に病院へ駆けつけたりしたせいか、私の様子の変化に気づいてか、情緒不安定の日が続いた。これまで元気に通っていた保育園も私がどこかに行ってしまうのでは
と思い大泣きして離れない。帰りもずっと泣きながら「あれしてこれして」とワガママを言う。
これまで「ママは?」って一度も口にしないけど、それは子供なりに回りに気を使ってるんだね。子供なりにガマンして頑張ってるんだね。ありがとう。
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  1. 2002/03/09(土) 00:00:00|
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区役所

翌日私は娘の出生届と妻の死亡届をもって区役所へ行きました。
戸籍課のそれぞれの窓口に書類を提出しました。
死亡届の受付では小声で表情を変えず淡々と書類を受け取り作業に入りました。
次に出生届を受付担当者に出すと私に「2週間以内に提出していただかないと書類は受理できないんですよねぇ。」と皮肉った言い方をしてきた。
私が「分かっていたけど出しませんでした。」と言うと
「えっ!」と言う表情で「どういうことですか?」と担当者は訪ねました。
「妻が出産で容体が悪かったため、妻の容体が回復してから一緒に決めたかったんです。」と答えると、
「そうですかぁ、でも2週間以内と決まっているので困るんですよ。気をつけてください。それで、今日は奥さんもいらっしゃってるんですか?」と言いました。
私が「妻は亡くなりました。今日死亡届と一緒に出生届を出しにきました。」と言うと担当者は表情を変え
「えっ、そ、それはお気の毒でした。2週間と決まってますが、少しくらい過ぎても問題ないですから。すぐ手続きしますので後ろでお待ちください。」
と言って慌てた様子で作業を始めた。
しばらくすると書類の手続きが完了して手渡された。書類には新しい家族として娘の名前が記され、私の隣にあった妻の名前が消され『除籍』という文字が記されていた。
当たり前の事務手続きとは言え、私にはかなりこたえました。
本来であれば夫婦で我が子の名前が記された戸籍を見て喜ぶのが普通なんでしょうが私にはその余裕はなく、書面上に記された妻との別れにただ力なく見つめるのが精一杯でした。
「妻の死から一週間もたたないうちにこんなに別れがあるなんて・・・」という現実を受け止めるので精一杯でした。
病院で妻が他界した瞬間の別れ、やっと帰ったと思ったのに実家から葬儀場へ運ばれた時の別れ、火葬場で妻の遺体が焼かれるときの妻の遺体と最後の別れ、そして今日戸籍上除籍となり夫婦ではなくなりました。死んだからって別に別れようなんて思ってないのに、
死を受け入れられたわけでもない。心はまだ結ばれている。心は妻の帰りを待っているのに、時間と共に妻との距離はどんどん遠くなってしまう。悔しいのか悲しいのかも分からないとにかく苦しい。孤独、寂しい、今自分がどんな状況なのかも表現できない1日でした。
  1. 2002/03/08(金) 00:00:00|
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通夜・告別式

020306-7
葬儀
2日後妻の葬儀が行なわれました。時間がなくあまり連絡できなかったはずなの近所の友達やバイト先、中学、高校と沢山の友人がお別れにきてくれました。
通夜には病院から生後22日の娘も最後のお別れにきてくれました。私は娘をそっと棺の中の妻の胸に置き「これがママの感触だぞ。よく覚えておけ。」と最後のお別れをさせました。その時娘の名前を決めて妻に「俺達の娘の名前○○に決めたよ。」と妻に報告しました。
翌日の告別式も沢山の人が早朝から参列し、火葬場まで誰一人と帰ることなく見送ってくれました。大勢の友人や家族に見守られる中、棺には思い出の品や花がぎっしり詰められました。
今にも目を覚ましそうなほどキレイな顔なのに、せめて遺体でもいいから側にいて欲しかった。
しかし、次から次へと事務的に焼かれる火葬場で妻の順番もとうとうきました。
私は「D君ママお空に行くからバイバイしよう。」と息子を抱き妻に合わせると「あっ、ママ。バッバーイ。」と少し驚いた表情で言われるままにお別れをしてくれました。
やがて時間もいっぱいになり子供達の写真や思い出の品と沢山の花に包まれ妻の棺に釘が打たれ分厚い扉の先へ妻の棺はゆっくりと運ばれました。
スタッフより火葬終了の連絡を受けて戻ると、妻の姿は跡形もなく真っ白な遺骨となって帰ってきました。
私は2歳半のD君を抱き小さな手をかざし一緒にお骨を骨壷へ入れました。
  1. 2002/03/06(水) 00:00:00|
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父子家庭の始まり

3月4日早朝病理解剖のため妻の遺体を10時過ぎまで預けることになった。私はいったん実家に戻り息子の様子を見た。
当時2歳半のD君は昨夜私が病院へ駆けつけた後突然目を覚まし泣き出したという。
父と母がいくらなだめても全く泣き止むことなく、夜中ずっと泣き続けたそうだ。明け方5時頃になり泣き疲れたようにコロッと寝たと父が話したが、それはまさに妻が亡くなったと同時だった。ママが旅立つ前に会いに来てくれたのかな?本当に不思議なこともあるものだ。
D君は昨夜の大泣きがウソのようによく寝ていたので私はすぐに病院に戻った。病院の前では妻のお父さんから連絡を受けた友人が待っていた。事情を説明し、霊安室へ行くと6時頃はまだわずかに温かかった妻の身体は氷のように冷たく硬くなっていた。友人達は霊安室に入るなり堪えていた涙が溢れ妻の前に泣き叫んだ。 11時葬儀屋から送迎車が来て病院を出発。私は担架に横たわる妻の隣に座った。「本当に死んでしまったのか?」分かってはいても受け入れられない。妻は葬儀屋で身体を洗って、洋服を着せたあと帰宅した。しかし、私たちの家ではなく実家への帰宅となった。私はD君にはどうしてもママの姿をみせることはできず四畳半の部屋に妻を寝かせ戸を閉めた。
  1. 2002/03/04(月) 00:00:00|
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プロフィール

寿☆司

Author:寿☆司
VBACという出産から新たな出会いと大切な別れが訪れました。
父子家庭、経済的、肉体的、精神的苦難を乗り越えて親子で暗闇から這い上がってきました

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