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苦難はもう十分経験した、あとは這い上がるだけだ!

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十三回忌ママとの再会

今日あまりよくない天気の中でしたが、無事嫁の十三回忌法要を終えました。
情けないですが、我が家の今の経済事情では、本当にささやかにやるだけでも精一杯。


でも、せめて家の家族と、義父だけは呼ばないと・・・と思ったのですが、
先日電話して、昨年夏に他界したことを知りました。


もう1回だけでも話したかったなぁ・・・
嫁の家族、両親と嫁みんな旅立ちました。


きっと天国で再会してるよね(^^)
母親を早くに亡くしてる嫁、今度は家族3人仲良く過ごせるといいな・・・


さて、今回の十三回忌は、元旦に亡くなった私の祖母の納骨も兼ねていたので、12年ぶりにお墓が開けられました。
子供達超久しぶりのママとの再会ができました。


レイは2歳半以来、アイは生まれた時のカンガルーケアで一瞬抱っこしてもらって以来の再会です。
お骨という姿ではあったけど、母親をこれまでで一番身近に感じられた瞬間でした。

十三回忌


レイは、ママが亡くなった時は、当然死を理解できない歳でした。
毎週末お墓参りに通って、3歳の誕生日を迎えた8月、ようやく心に抱いてた疑問を口にしました。


「ねぇ、ママどこにいったの?」
「お空に行ったから、ここで寝てるの」


「・・・。ここにいるの?」
「うん、そうだよ(^^)」


「・・・。」
しばらく考えて3歳のレイが突然大きな声で叫んだ


十三回忌


「ママ!あけて!レイ君だよ!!あけてよ~!」
石の扉を叩きながら、一生懸命ママを呼んだあの日から12年・・・


やっと今日、この扉が開きました。
ちょっと照れくさそうに、でも会いたい気持ちを隠せない様子で2人ともお墓を覗いていました。


自分の心の中の曇りも1つ晴れたような気分になれた十三回忌と祖母の納骨でした。




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テーマ:男の子育児 - ジャンル:育児

  1. 2014/03/02(日) 18:43:09|
  2. 妻に関すること(含む裁判)
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裁判記録完結編(被告医院往訪)+プチオフ

裁判が和解解決となってかなり時間が経ってしまったが、今日ようやく双方のスケジュール調整が取れて、G産婦人科医院を訪ねた。


G産婦人科を訪れる前に、この楽天でであったもなか3さんと20分ほどだがプチオフ。


妻と同じ出身地でひょっとすると小中学校も妻と同じかもで、G産婦人科のすぐ近くに住んでいて、3人のお子さんのママ、しかも今彼女は妻の行年と同じ年齢。


そんな人と偶然にもネットで出会い、このような形で会うことができたというのは何とも運命的なものを感じる。


更に、実際に会って見ると妻に引けを取らない美人ママ。
ここの女性は小顔美人が多い街なのだろうか?ともなか3さんに悟られないように勝手な妄想へ走った。

{本当は内緒にしておこうと思ったんだけど、前の日記にもなか3さんから書き込みが入ってたので、ちょっぴりだけ公開(恥)}


20分ほどだったし、お子ちゃま連れで殆ど何も離せなかったけれど、G産婦人科へ行く前にいいリラックスになった。



*********************************


何も話せないまま、暑い中来てくれたもなか3さんにろくな挨拶もせず、G産婦人科へ。
入口の自動ドアが開くと、目の前はすごい混雑振り。
金曜日はオペの日で診察は休みだが、乳児健診や施設見学で沢山の妊婦さんやママさんで溢れていた。


受付の女性が「あ、どうも久しぶりです。お元気ですか?今院長にお知らせしますね。」と妻の死から3年以上経った今でも当時のスタッフには顔パスだ(苦笑)


待っている間、私の視界は待合スペースで小さな新生児を抱く母親の姿、大きなお腹をさする妊婦でいっぱいだった。


目の前にいたママさんが哺乳瓶を取り出し、赤ちゃんにミルクを飲ませた。見えていないことは分かっているが、赤ちゃんの目が私の方をに向き、その小さな新生児の顔を見ていたら、自然と胸が一杯になり、手のひらが汗で一杯になった。


4階のスタッフルームへ案内されると、院長と副院長が手術着のまま穏やかな表情できた。
話さずともお互いの気持ちは理解されたような気がした。


元々この裁判自体、私は恨みを晴らす目的ではなかったし、今では戦友というのか?先生方とは弁護士からも、



「原告と被告が裁判中に弁護士を介さないで直接コンタクトを取るのは控えてください。」



と言われるほど、不思議な関係ができていたので、裁判ではかなり泥臭い争いもあったが、久しぶりに会ってもピリピリ感もなく会うことができたのかも知れない。


もちろんその関係の背景には、私が民事は恨みを晴らすものではない、真実を求めるものだという姿勢で裁判を起こしたことを院長等が理解していたこと、泥試合になったときも子供たちの写真が入った年賀状を送ったりしていたので、院長等も私の気持ちを理解されていたのも関係しているだろう。


裁判を起こす前から私は、この先の人生を恨みで生きるのは自分にとって有益ではないし妻にとっても本望ではないと思っていた。妻の死を恨みではなく財産にしたいと思っていた。


そんなことから、院長等との会話も終始互いを否定することも感情論も無く、現在の産科医療の問題やこれからの産科医療の姿へと話は流れた。



そして「医者と患者遺族という戦ったもの同士が協力して、一緒に妊婦さんや医療従事者へ働きかけるような活動ができないか?」という話になり、


院長等も「是非とも琴吹さんには、それだけ勉強した知識と経験を活かす活動をして欲しいし、私たちも全面協力しますよ。」という話になった。


とはいえ、具体案はまだ何にもないのですが(苦笑)


院長等の人柄もあるだろうし、私もどちらかと言うとお人好しな方なんだろうが、そのお互いの性格によって生まれた不思議な協力関係が何らかの形になる可能性が出てきたのだ。



1時間ほど話し帰りは、2階のナースセンターへ立ち寄った。
妻が入院中、|ちゃんの世話をしてくれた看護婦さんと3年ぶりの再会をした。


妻が入院中新築し、まさに今の妊婦さんの目を釘付けにするようなキレイな施設になったG産婦人科は、分娩数も年間1000以上の分娩を扱う都内でも3本の指に入る産婦人科医院に成長していて、新しいスタッフも入り倍以上の大組織になっていたが、当時のスタッフは殆ど残っていた。


施設見学の妊婦さんで大混雑したナースセンターを避けて、新生児室の前で看護婦さんと話をしていると、当時の記憶が鮮明に蘇って目頭が熱くなり、胸が苦しくなった。


でも、それは悲しさとは微妙に違う。なんだろう・・・。


とにかくこれで私たち家族の裁判は終わった。
ママありがとう。

  1. 2005/08/26(金) 00:00:00|
  2. 妻に関すること(含む裁判)
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  4. | コメント:10

病院に行ってきました。

今日ランチ終了後病院に行ってきました。
といっても診察ではなく、妻がお世話になった都立病院です。


証言台に立ってくださった救命センター部長H先生と、当時の担当医N先生に挨拶に行きました。
首都高で30分ほどの道のり、3年前毎日のように走った道、毎日の見舞い、待機解除の許可が出て家にようやく帰ったかと思ったら、突然出血が起こり慌てて車を走らせたり、lちゃんに会いに被告医院へ通ったり、そんな当時の記憶が蘇えった。



病院に着くと、早速1階の面会受付を通って救命センターのある病棟へ向った。
救命センター用のエレベーターに乗ると、妻が突然の再出血で緊急手術のため、何人ものスタッフにより、10個以上の点滴や心電図モニターと共にCT室に移動したときの姿を思い出し、聞こえるはずのない「ピッピッピ」という心電図モニターの音や「シューシュー」という人工呼吸器の音が聞こえてくる。



息苦しくなったところで、エレベーターは4階の救命センターへ到着した。
右には手術室、左に救命センターがあり、その間の20歩足らずの空間に、ベンチが設けられている。3年前と全く同じ何も変らない。



インターホンで到着を告げ、ベンチに腰を降ろした。
ベンチには3名座っていた。今日救命センターに搬送された患者さんの家族だろう。
平均入院日数3~4日という救命センターで、私は19日間ここに通ったから、本当に色々なシーンに遭遇した。


大動脈破裂で搬送された男性、駆けつけた奥さんや子供さんに、
「すでに年齢を考えても手遅れです、何もしないでみとってあげた方が良いでしょう。」と若い医師が説明し、子供の前で泣き崩れる奥さんの姿。
家族で面会時間を待っていると、突然緊急手術の準備が始まり、沢山のスタッフによりベッドが運ばれた。顔を見ると私の妻・・・。



決して良い思い出ではないが、不思議と懐かしい思いがした。
きっとそんな現場だって妻が生きていたときの思い出だからかも知れない。


10分ほどしてN先生が出てきて、
「琴吹さんどうもご無沙汰しています、どうぞ。」と応接室へ通された。
10畳程の窓のない部屋にソファが置かれ、ムンテラ(病状説明)のために使用するホワイトボードや机、ここも当時と全く変らない。



応接室に入っただけで、私の心臓はドキドキと激しくなっていった。
別に緊張しているわけでもないのに、身体が当時ここで何度となく受けた緊急手術の説明、震える手を押さえつけて書いた手術の同意書、そんな思い出を覚えているのだろう。


H先生が入ってくると、
「琴吹さんどうも、今回の結果で満足されたんですか?」
といきなりストライクゾーンを抜ける質問が飛んできた。
そうとう気に掛けていたらしい。


「はい、今回の争点や司法や医療業界の現状を考えると、これ以上粘っても意味がないだろうと思いました。ただ、争点をストレートにVBACにできなかったことが心残りです。」


VBACそのものを争点にすれば、相手は被告だけではなく、日本医師会や産婦人科学会を敵に回しての裁判となり、個人で戦うのは金銭的、肉体的にも非常に難件になることから、搬送ミスを争点にしたが、やはり開業医でのVBACの実施についてメスを入れるという点では、結果も50:50に持ち込むのが限界だったこともあり、燃焼しきれない部分があることを言うと、H先生は深く頷いた。


そして、ガイドラインの問題についても、アメリカでは明らかな有罪でも、日本にはガイドラインがないこと、そして開業医での分娩という日本独特の環境で、日本のガイドラインを持たずに、アメリカのガイドラインを参考に実施しているために、過失を問えないという盲点を衝かれたことに、H先生自身煮え切らない様子だった。



そしてH先生は最後に、
「全くその通りです。お産は産めて当たり前ではない。新しい生命の誕生と共に、大きなリスクを母親は背負う。だから、事前に避けられるリスクは、キチンと回避して望まなくてはいけないんです。」と言った。


瀕死の患者のみを受け入れて、生還に努力されている救命センターの医師とこのように意見が一致したことで、これからの自分が多くのママさん達にメッセ-ジを贈って行く事に、ちょっぴり自信が持てたような気がした。


あとは、被告医院に挨拶に行って、本当に我が家の裁判は終わりだ。


P.S.実は昨日書き上げたのに、最後送信というときに、楽天サーバ異常で緊急メンテとか言って、全部消えちゃって書き直したのですが、やっぱり最初と同じようには書けない(><)
  1. 2005/06/20(月) 00:00:00|
  2. 妻に関すること(含む裁判)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:9

お墓の遺骨

今日は、普通に日記を書きます。

実は、ここ数日父方の祖母の具合が悪かったのです。
元々喘息もちで、一度具合が悪くなるとすぐに肺炎を併発することから、
これまでも、何度も三途の川を渡りかけては、持ち前の強さで戻ってきて
を20年もくり返している。


容体が悪くなるたびに、店が終わってから夜中に福島まで車で3時間かけて
行っては、このご時世で店も休めず、昼は従業員に任せても夕方には帰る
をくり返してきた。
20年間そんな回を重ねるうちに、「また、元気になるよ。」と楽観的に
なった時期もあった。

でも、そんなガッツのある大正レディの祖母も87歳。
今回は肝臓付近に癌のようなものもみつかり、更には肺もボロボロ。
ここ何年かは食欲もなくなり、本当に痩せて小さくなった。


父は末っ子で兄弟は沢山いるが、祖母の実子としては父と姉だけなので、
もし、祖母が亡くなれば、父が引き取ることになる。
(勝手にうちで決めているのですが・・・。)


そうなると、妻の入っているお墓に私が行く前に、単純に年功序列でいけば
祖母や両親と3人は先に入る。
でも、小さなお墓にそんなにいくつも壷を収められないし、どうするのかなぁ
と思ってたところに、お寺の方が見回りに来たので訪ねたことがあった。


「仏様は土に返すというのが基本ですよ。だから、壷が入りきれなくなったら
 古いお骨は壷から出して、お墓の土に埋めるんです。骨っていってもあれだ
 けの火で焼いているので、ビニール袋に入れて、踏んづけると結構簡単に
 粉々になるんですよ。」


私は表情は穏やかでも、内心はドキッとした。
もし、このまま再婚することなく人生を終えるときは、私の骨と妻の骨を1つ
の壷に納めて欲しいと思っていた。



「先に土に返されては、死んでも再び一緒になることができないかなぁ。」
と人には言えずとも考えていたが、現実に妻の骨が土に返される日が
近くなってくると、内心急に焦り出している。
  


「何か粉々にして小さな壷に移せないか?」
「骨の一部だけでも残して置けないか?」
「でも、自然に逆らって土に返すのを伸ばす事は、妻にとっては負担になるのかもなぁ!?」


などなど、一人で考えてしまう。
そんな誰にも聞けない無知なことで悩み、自分の将来の身の振り方も決まっていないだけにどうすることが、良いことなのか悩みます。



皆さんは、ご主人や奥様と一緒お墓でというところまでは、考えたことあるでしょうが、お骨も1つってのはどう考えますか?
夫婦で人生を歩みきれなかった、未消化オヤジの単なる欲求不満なのかなぁ?
  1. 2005/06/09(木) 00:00:00|
  2. 妻に関すること(含む裁判)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:13

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寿☆司

Author:寿☆司
VBACという出産から新たな出会いと大切な別れが訪れました。
父子家庭、経済的、肉体的、精神的苦難を乗り越えて親子で暗闇から這い上がってきました

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